真照寺薬師堂(あきる野市引田)

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写真は市指定文化財の山門。

引田山金蓮院真照寺は新義真言宗豊山派の寺院で、JR五日市線・武蔵引田の駅から南へ約1kmほどのところにある。西から下る秋川が真照寺のある台地をぐるりと南へ迂回しているので、この付近は半島状の地形になっている。

真照寺は北の街道(睦橋通り)からやや下がり、段丘のちょうど中腹あたりに存在する。山号を見ても由緒を見ても、古くからこの地で重要なお寺であったことが推察される。

 

『新編武蔵風土記稿』に、真照寺についてのなかなか興味深い記事が載っているので、以下に転載する。

眞照寺

村の東にあり。新義眞言宗同郡横澤村大悲願寺の末山なり。御朱印寺領七石引田山金蓮院と號す。もとは金華山と云しが、いつの頃か今の山號となる。寛平三年の起立にして、開山の僧は義寛と云へり。この僧は同き九年七月廿一日寂す。延文元年鎌倉公方左馬頭源基氏再建ありとて、今も起立再建二度の棟札を藏せり。その文末に出す。又、正慶元年の鐘銘もあれば延文の再造は疑なきもの也。本尊藥師行基菩薩の作なり。本堂九間に六間半。南向。前に門あり。大門前三町ばかりの直道にして、秋留川まで見わたすほどいとひろき境地なり。境内秋川向に日照山と云處あり。この所に往古は本堂ありしとぞ。此寺に正慶元年に鑄たる鐘ありしが、今はうせて伊豆國伊豆權現の別當般若院と云へる寺にありといひ傳ふ。故に天明年中寺僧伊豆權現え詣でて、かしこの僧にこの事を尋ければ、件の鐘も現にあり。又、口碑にも武藏の日照山と云所より、亂世の頃何ものか持來たる陣鐘なりといひ傳へり。されど銘文は刻したれど、寺號もなく國郡村名もみへざれば、定かなることはしるに由なし。

再建者が初代鎌倉公方足利基氏であること。もとは秋川の向かいにある日照山という場所にあったこと。関東の源氏と深い関係にある伊豆権現との関わりがあったこと。この寺にあった鐘が陣鐘として伊豆権現で使われていたこと。

これらを総合して考えると、もともと伊豆箱根の修験者集団と近い関係であり、戦国期には軍事的意味合いの濃い場所であったことが推察される。日照山は地図で探すと、秋川の対岸にある「東京サマーランド」の敷地内に今もその名が見える。そこは切り立った崖になっており、なるほど修験者の修行場として、あるいは砦や監視所としてふさわしい地形のように見える。

薬師堂

本堂の裏手に都指定の文化財である薬師堂がある。

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方三間の小ぶりなお堂。屋根は宝形造で、正面は蔀になっており、全体としてほぼ純和様である。

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横板壁に長押、舟肘木。素朴な棰。

現地の説明書きを転載する。

東京都指定有形文化財(建造物)

真照寺薬師堂

所在地 あきる野市引田八六三

指定 昭和二八年一一月三日

木造で屋根は宝形造、桁行三間、梁間三間の建物で、間口・奥行ともに約四・四二m(一九・五㎡)です。外回り切目縁付き、軒周り柱上部に舟肘木があり、建築年代は室町時代と考えられています。寺には廷文元年*1(一三五六)、関東管領*2足利基氏建立の棟札写しがあります。『新編武蔵風土記稿』には寛平三年(八九一)造立の柱を用いて、廷文元年に再建したと見え、すでに江戸中期頃には柱に虫穴などがあって古色を呈していたと記されています。昭和四四年(一九六九)解体修理を行い、屋根はもとの茅葺を銅板葺に改めました。真照寺は引田山金蓮院と号する新義真言宗豊山派の寺院で、寛永三年*3に義寛上人によって開山されたと伝えられています。なお、宮川義国寄進の厨子も附として指定されています。

平成二二年三月 建設

東京都教育委員会

誤りだらけの説明文に不安を隠せない。大丈夫か都教育委。

文中にもあるように『新編武蔵風土記稿』に記事がある。

藥師堂

境内本堂の後にあり。三間四方の堂なり。是は寛平年中造立の柱を用ひて延文中に再建せし堂なりと云へり。其柱虫穴などありて古色にみゆ。寛平延文両度の棟札あり(以下略)

 『風土記稿』記事中の棟札写しには「延文」ではなく「延元元年」とあるが、丙申の年なので延文の誤りであろう。

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装飾が無く極めて簡素なところが良い。

14世紀の純和様仏堂ならば、都内どころか関東においては極めて貴重な存在である。場合によっては国指定となってもおかしくない。しかし見たところ、修復時点でお堂全体がかなり痛んでいたようで、古材の比率が少ないように見受けられる。国指定とするにはそこがネックになっているように感じるのである。

しかし足利基氏という関東史上の重要人物が再建したことがほぼ確実なお堂であり、また西多摩地方の人々が薬師仏を篤く信仰してきたことを示す重要な遺産であることは間違いない。末永く大事にしていきたいものだ。

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サワラ(イトヒバ)の大樹。

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本堂脇にあるこのサルスベリは特に見事だった。ぜひ夏に再訪したいものだ。

*1:延文の誤り

*2:鎌倉公方の誤り

*3:寛平の誤り