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阿蘇神社のシイ(羽村市羽加美)

玉川上水の水源である羽村堰の北西、多摩川を見下ろす段丘上に、阿蘇神社は鎮座している。阿蘇神社は熊本の阿蘇山の麓に鎮座する大社が著名であるが、東京都下にも存在しているとは驚きだ。関東において九州の古社がルーツと思われる神社はきわめて珍しい。

 

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阿蘇神社のシイ

社殿は南南西を向いて鎮座しており、その西側の崖際にスダジイの老樹がある。

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都指定天然記念物のスダジイ

都の作成したポストカードの説明書きによれば、

樹高18.0m、幹囲6.2m(平成7年調べ)で、姥ヶ淵と呼ばれる多摩川畔に大きく懸崖している大枝が特徴の老樹です。

 後になって気づいたのだが、この大樹を撮影するなら、多摩川の河原に降りて説明に載る大枝を含めて撮るべきだった。

シイはブナ科シイ属の常緑広葉樹で、黒潮対馬海流の影響を受ける温暖湿潤な地域に広く分布する。

この木も相当の老樹で、樹勢回復事業ではあるが

阿蘇神社について

それにしてもなぜ阿蘇神社が、肥後熊本から遠く離れた都下に存在するのか。色々調べてみたがよく分からない。都が作成したポストカードの説明書きには、

社記によれば推古天皇9年(601)の創建と伝えられています。その後承平年間(931~938)平将門が造営し、藤原秀郷も造営したともいわれています。現存する天文5年(1536)の棟札によれば、勝沼(現・青梅市)に本拠を置いた三田定重が7回目の改修を行ったことが銘記されています。

 とある。しかしこれではなぜ阿蘇神社がここにあるのか分からない。

江戸後期の地誌『新編武蔵風土記稿』や『武蔵名勝図絵』には、磐龍姫命という女神を祀っていると書かれているが、この神は本家の阿蘇神社には存在しない。

だから推定するしかないが、中世以前に肥後・阿蘇神社の社領が当地に存在していたか、岐阜県羽島に存在する阿蘇神社が、肥後守であった平貞能の子孫が土着し祭ったものとされているのと同じように、肥後・阿蘇神社を信奉する何者かが当地に来て近辺を治めていたか、いずれかではないかと思う。

しかし、将門、秀郷が社殿を造営し、三田領の領主・三田氏が厚く信仰したという伝えは興味深い。当地は西から下った多摩川が一旦南に転じた地点に存在する。川の向こうには三田領(青梅)から滝山領(八王子)に通じる滝山街道が走っており、背後は奥多摩街道という交通の要地に当たる。この地勢を見るに、私は中世には軍事拠点として使われた可能性が高いと思う。