秩父荒川・水芭蕉園(秩父市荒川日野)

水芭蕉ミズバショウ)はサトイモ科の多年草である。

比較的寒冷な環日本海地域に自生する野草であるが、秩父水芭蕉園があるという話を聞いて、訪ねてみた。

 水芭蕉

道の駅あらかわの駐車場に車を止めて、徒歩で10分ほど。水芭蕉園のそばにも駐車場はあるが、天気が良かったので散歩がてら歩いてみた。

f:id:x-1:20170418124422j:plain

現地には人っ子一人居なかった。害獣よけのネットに囲まれているが、秩父市のホームページの紹介文によれば、2500平方メートルの敷地に約1500株が植えられているらしい。

訪れてみてまず驚いたのが、もう花が終わりかけていたことだった。俳句でも夏の季語であるし、童謡『夏の思い出』にもあるように、てっきり初夏に咲くものだと思っていたからだ。

f:id:x-1:20170418124537j:plain

比較的日当たりの悪い所の花は、まだ盛りできれいだった。

オタマジャクシが沢山泳いでいる。

f:id:x-1:20170418125144j:plain

f:id:x-1:20170418123736j:plain

園内は独特の臭気があった。北米では同属を「スカンクキャベツ」と言うらしいが、何とも言えない臭いだ。良いにおいだと評する人もいるらしいが…。

それにしても現地に「有害獣に荒らされた」と書いてあったが、何が来たのだろう。もしかして熊?

f:id:x-1:20170418124704j:plain

アカハライモリ

 

 

古典に載る水芭蕉

山中寒冷地に咲く花だからだろうか、水芭蕉は近世に至ってようやくその名が見えるようになる。

f:id:x-1:20170422174731j:plain

寺島良安『倭漢三才図会』(1712)「海芋」。

もとは陳扶揺『秘傳花鏡』(1688)など、中国の本草書や園芸書に載る「海芋」や「一瓣蓮」、「観音蓮」を水芭蕉に当てていたようだ。

江戸後期に下り、小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1805)に「海芋 ミヅバセヲ」、岡林清達『物品識名』(1809)に「ミヅバセウ 海芋」という記述が出て、ようやく和名の「水芭蕉」が登場する。『本草綱目啓蒙』の記事を以下に引用する。

水草ナリ。葉澤瀉ニ似テ厚ク光リ黄緑色、長サ七八寸、𤄃サ三四寸、一根ニ叢生ス。莖ハ青芋(注:サトイモ)ノ如シ。肥タルモノハ長サ二尺許、夏月根上ニ短莖ヲ抽デ花ヲ開ク。只一瓣ニシテ長サ三四寸、𤄃サ一寸半許、白色中ニ永蕋アリ、天南星ノ蕋ノ如シ(以下略)

引用ここまで

f:id:x-1:20170422181345j:plain

岩崎常正『本草図譜』(1828)の「海芋=みずばせを」。信州野州、すなわち長野や栃木に自生しているとあり、大毒あり、とある。水芭蕉にはシュウ酸カルシウムが多量に含まれており、冬眠明けの熊が下剤代わりに食べるとか。

 

 

変わったところでは、この植物を好んで描いた画家がいた。松前藩家老であり、円山派の画家でもあった蠣崎波響(1764~1826)である。

f:id:x-1:20170422182448j:plain

『圓山四條派畫集』(1912)所載の「水芭蕉」。葉の上にカタツムリが乗っているユーモラスな作品だ。金井紫雲が『草と芸術』(1931)に、(以下引用)

誰か畫いてゐるかと探して見たが容易に見當らない。漸く四條圓山派の畫集中に、蠣崎波響がこれを畫いてゐるのを發見した、誠に珍らしい存在といはねばならぬ。著者はこの圖に接してこんな植物にまで、その注意を怠らなかつた古名匠の心持を感ぜずには居られなかつた。(引用ここまで)

と書いているのがそれである。金井は「こんな植物」と言ってはいるが、蠣崎波響は蝦夷地でアイヌとも親しく接しており、また花草画を得意にしていたから、寒冷地に短い夏の訪れを告げるこの植物に自ずと注意が行ったのだろう。

 

f:id:x-1:20150217095414j:plain

これは松平定信編纂『楽翁画帖』所載の蠣崎波響・画「水芭蕉図」(平野美術館所蔵)。この作品には款記があり、寛政十二(1800)年閏四月十二日に、大坂の木村蒹葭堂の屋敷で描いたことがわかる。

当時松平定信は『集古十種』の編纂のために、全国各地に文人画人を派遣し、古物を蒐集し、その模写を行わせていた。その中で蠣崎波響にも何か珍しい風物の絵を描いてくれないかとリクエストし、波響はそれに応えて北国の植物を描いて見せたのではないだろうか。