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大善寺本堂、山門(甲州市勝沼町)

柏尾山大善寺甲州市勝沼町にある真言宗の古刹である。本尊の薬師三尊は国重文で、現在は「ぶどう寺」として名高い。

 

門前には甲州街道が通り、それに沿うようにして東から日川が流れ下っている。笹子、大菩薩からの峠道が甲州平野に出る、まさにその直前の台地上に建っている。この地勢を見れば、古代から宗教上はもとより、政治、物流、軍事上の要地であったことは疑いなかろう。

それを証明するように、中世から近世の様々な紀行文に、甲州街道を旅して大善寺に立ち寄ったという記述が載っている。准后道興『回国雑記』、荻生徂徠『峡中紀行』、撫草庵寛雲『津久井日記』、邨岡良弼『甲信紀程』、歌川広重『広重甲州道中記』、黒川春村『並山日記』などがそれである。(萩原元克『甲斐名勝志』、邨岡良弼『甲信紀程』には宗祇の紀行にも載ると記されているが、おそらく『回国雑記』の誤りと思われる。)

 

 

拝観料は500円だが、国宝の本堂の内部や、県指定名勝である庭園も見せてもらえるので、それを払う価値は十分にあると思う。

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駐車場から石段を登った先にあるのが県指定文化財の山門。現地の案内板によれば、1798年(寛政十)の再建。願主は土浦藩主であった土屋英直。武田勝頼に最後まで付き従い、片手千人斬りの伝説を残した土屋昌直の子孫である。

 

 

さらに石段を登ると、国宝の本堂が現れる。

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現地の案内板を転記する。以下引用

国宝 大善寺本堂 一棟 付 厨子 一基

昭和30年6月22日指定

 真言宗智山派の名刹大善寺の本堂は、薬師三尊像(弘仁仏、鎌倉時代、日光、月光、十二神将 国指定重要文化財)を安置するので薬師堂とも呼ばれる。

 方五間(桁行18.02m 梁間17.40m)の堂宇で、正面は中の三間を両開き桟唐戸、両端を連子窓とし、両側面の前寄り一間と背面中央一間の出入口以外はすべて板壁で、四周に切目縁を回らす。太い円柱上に豪放な、実肘木つき和様二手先の斗栱を組み、中備に間斗束を置き、軒支輪を付け、二重繁棰によって雄大な寄棟造桧皮葺きの屋根を支える。

 内部は前から二間通りを外陣、つぎの二間通りの中央三間を内陣とし、その後方と入側の一間通りをそれぞれ後陣及び脇陣とする。内陣には須弥壇を設け、厨子を置き、本尊を納め、その左右に日光、月光菩薩十二神将を配する。

 内陣・外陣とも、長大な虹梁を架す技法で中央三間通りの柱を抜き、堂内を広く使えるように配慮されている。虹梁の上には特色ある繰形付きの花肘木をのせて上部に天井を受ける。内・外陣の境界は五間とも格子戸・菱組吹寄欄間によって厳しく仕切られるなど、古い密教建築の様風がよく遺されている。

 この建物は、執権北条貞時が勅命を奉じ「弘安九参月十六日」(内陣背面両隅柱の刻銘)甲信二か国の棟別銭の喜捨を得て再興した、中世和様建築の典型を示すものであり、関東最古の遺構でもある。昭和29年12月解体復元修補が竣工した。

 山梨県教育委員会 甲州市教育委員会 JR鉄道文化財

引用ここまで

 修験の寺で薬師を本尊にしているのが、その古さを物語っているように思う。普通は観音や不動なのだが…。

関東ではこれより前に建てられた仏殿では白水阿弥陀堂があるが、方五間という規模の大きさを考慮すれば、関東最古というのもあながち嘘とは言えないだろう。

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武田菱? さすがに三つ鱗にはできないか。

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側面。ほぼ純和様だ。鎌倉期のこの規模の純和様建築は、全国に広げてみても貴重である。

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本堂前の展望所からは甲府盆地がうっすらピンクに染まって見えた。満開の桃の花が絨毯のようになっているのだ。

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本堂のある広場から東に下ったところにある『武田滅亡記』(『理慶尼記』)の作者・理慶尼の墓。理慶尼は武田信玄の従姉妹であったが、実兄が信玄に対し謀反を企てたとして嫁ぎ先から離縁され、この大善寺に庵を構え尼となっていた。それから20年あまり後、信玄の実子・勝頼が、織田軍に追われ大善寺に身を寄せた。その前後の顛末を、彼女は物語として残したのである。

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県指定名勝の庭園。左手奥の須弥山組が印象的。右手前には滝があって池に流れ落ちている。