山高神代ザクラ(北杜市武川町)

福島県の三春滝ザクラ、岐阜県の根尾谷淡墨ザクラ、山梨県の山高神代ザクラを俗に「日本三大巨桜」と呼ぶそうだ。そのうちの一つ、山高神代ザクラを見るため、山梨県北杜市武川町山高の実相寺というお寺を訪ねてきた。

 

実相寺JR中央線日野春駅から釜無川を渡り、西へ約2.5kmほどのところにある。花の時期には有料の駐車場が用意され、全国から訪れる観光客で賑わう。寺のそばには舗装された駐車場もあるのだが、混雑しそうなので一番遠くて未舗装の駐車場に車を駐めた。400円。

周囲には杏や桃の樹園がある農村地帯で、西には甲斐駒ヶ岳、南には鳳凰三山が堂々とそびえている。寺に続く道沿いには平日だというのに多くの屋台や出店が出て、客で大賑わいだった。

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一見して、一種異様な感覚を受ける。巨大な岩の上に数本の桜の木が植わっているように見えるのだ。しかし、その岩のように見える部分こそ神代ザクラの巨大な幹なのである。

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古書に載る神代ザクラ

この神代ザクラ、当然ながらその美名は古くから知られており、史料での初出は『甲斐国志』(1814頃)である。(以下引用)

大津山實相寺
(前略)鎭守ノ稲荷並ニ老木ノ柳櫻アリ(後略)(引用ここまで)

なぜか柳桜になってしまっているが、ともかく200年前の史料に、実相寺に老桜があることが記されている。

 

 

江戸末に下り、大森快庵『甲斐叢記』(1848頃)には、神代ザクラが詳細に紹介されている。(以下引用)

山高老櫻
實相寺南門の側にあり。幾百歳を經たることを知らず。大サ七抱餘高サ五六丈枝も大なる者は二抱餘、其上に四五人を坐せしむべし。花候は穀雨ノ節(注4月20日頃)ノ前七八日を盛開とす。初發は微紅盛時は雪白。井出の櫻と同種なり。花時は遊人陸續て絶間なし。朝日に映へるを観耽て暮に至る者あり。或は寺中の小亭に宿り、燭を照して昏夜の姿を賞る者もあり、一樹の花一春幾千人の愛を受る事を知ず。實に江湖に匹敵希有一大老櫻なるべし。(以下略)(引用ここまで)

朝から晩まで一日中見惚れている者もあれば、夜泊まり込んでライトアップして楽しむ者も居る、と様々な花見の興じ方が描かれていて、江戸時代も今も全く変わらない人の姿がとても面白い。そして、日本一の老桜ならばそれはすなわち、日本で一番人々に愛されてきた桜だ、という発想も良いではないか。

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上は『甲斐叢記』の挿絵。鎧堂観音、西井出村の桜とともに山高の神代ザクラの絵が紹介されている。特に西井出村(北杜市大泉町)にあった老桜は、神代ザクラと兄弟の桜と言われていたという。

 

神代ザクラの名称

しかし最も興味深いのは、この桜が「神代桜」とは紹介されていないことである。同書の記事の後に、江戸時代の俳人文人志士たちが神代桜を詠んだ俳句や短歌、漢詩が紹介されているが、「神代」を匂わせる内容のものは一つも無い。

おそらく「神代ザクラ」の名称は明治に入ってから、甲斐国において最も古い伝説である日本武尊酒折宮の伝説に付会して付けられたものなのではないだろうかと思う。

 

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三好学による大正時代の神代ザクラ。(『史蹟名勝天然紀念物調査報告 第34号』より)

近代に入ると神代ザクラの名称が現れる。1922年に内務省によって編纂された『史蹟名勝天然紀念物調査報告 第34号』によれば、

山高ノ神代櫻

神代櫻ハ本堂ノ西側ノ地面ニ立チ、幹ノ基部ヨリ多數ノ支根出デ、互ニ連着錯綜シテ複軸ヲ形ヅクリ、其上部ハ基幹トナル。基幹(副軸部ヲ合ハセテ)ノ全高、約八尺ニシテ、其地上五尺ノ周圍、約三丈五尺アリ。基幹ノ上部ハ一本ノ主幹ト四本ノ側枝トニ分カレタルガ、側枝ハ一本ノミ生存シ、他ハ悉ク枯死セリ。主幹ハ發生點ヨリ六尺ノ高サニ於テ分岐シ、二本ノ枝トナリ、各枝ハ共ニ五尺ノ高サニテ、更ニ兩分セリ。
(中略)
本樹ハ白彼岸ニ屬スルモ、花ノ咲立ハ稍ゝ紅色ヲ帶ビ、滿開ニ及ンデ純白トナル、蕚ハ膨張シ密毛アリ繖形、花序ハ三乃至五花ヲ有シ三花ノモノ最モ多シ。花梗短ク約五分、花徑約八分、花序ノ密集スル特徵ニヨリ群彼岸(むれひがん)ト云フ。
本樹種ト同一ノ櫻ハ甲信地方ニ自生シ、又所在ニ植エラレ往々大木トナル、本櫻樹ハ其中ノ最大ナルモノト云フベシ。天然紀念物トシテ保存ヲ要ス。
(中略)
山高ノ神代櫻ハ「甲斐名勝圖繪後集*1」(大森快庵著、明治二十六年出版)巻七、廿五枚裏ニ記サレ又十五枚ト十六枚トノ間ニ花ノ圖アリ。

この頃既に樹勢に衰えが見られ、側枝は4本中3本が枯死したとある。(同年、天然紀念物に指定。現在は国指定天然記念物。)木や花の形状は詳細に記されているが、名称の由来については書かれていない。

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上と同じ三好による写真。樹高は隣のお堂の遥か上を行き、側枝が大きく大きく張りだしているのが分かる。

 

 

その3年後、1925年に発行された観光案内書、松川二郎『土曜から日曜』には次のように紹介されている。(以下引用)

(前略)

六十餘州櫻咲かぬ隈もなき我が日本に於て、第一の名木として推さるゝ老大木、櫻の中の櫻とも謂ふべきは、此のなまよみの甲斐國は新富村實相寺の『神代櫻』で、(中略)年齢は一千八百年と稱せられてゐる。

(中略)

(引用ここまで)

ここで初めて1800年という年代が登場する。 ここからは私の推測だが、先述の通り、甲斐国の“日本史”上の初出は『日本書紀』の日本武尊の東征である。その尊の死没年は西暦に直せば113年であることになっているから、この頃ちょうど1800年ということになっていた、というわけである。

 

 

どこの説明を読んでも1800年の根拠が示されていないので、たぶん科学的に調べたものではないのだろう。空気を読まず書いてしまうが、桜が2000年近くも生きるというのは疑問である。そんな適当さも実に日本的だが、しかしこれは樹齢2000年だ! と言われたら、目通り10mを超える大樹であるから、なるほど、と納得してしまうくらいの存在感があることもまた確かである。

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1936年発行の三好学『日本巨樹名木図説』所載の写真。側枝がほとんど枯れてなくなってしまったが、まだ1本が高く伸びている。この1本も1954年に襲来した台風7号の大風によって折れてしまったという。

 しかし、その後の国や地元の懸命の樹勢回復事業によって、今年もまた美しい花を咲かせ、私たちの目を楽しませてくれた。幹が岩のようになり、枝という枝が枯死し折れてもなお、花を咲かせる。生命というものの神秘的な部分すらも感じさせてくれる。

 

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境内には神代ザクラの子供たちや、三春の滝桜の子木も植えられている。バックは甲斐駒。

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 そしてこれが、神代ザクラの種子を宇宙に打ち上げ、若田光一さんによって持ち帰られ発芽した「宇宙桜」。発芽からたったの2年で花を付けたという。これもまた生命の神秘というものだろうか。

*1:『甲斐叢記』の誤りと思われる