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2016年・夏の旅(3日目その2)鞆の浦、福禅寺対潮楼、安国寺、沼名前神社

前回の続き。

阿伏兎から鞆の浦にバスで戻る。
昼から風が出てきたので、暑さは幾分か和らいだ。

 

福禅寺対潮楼

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福禅寺観音堂。

まず国指定史跡・福禅寺対潮楼を訪ねる。
海岸山福禅寺の開山は空也上人まで遡るそうだが、歴史的に確実なのは1610年(慶長十五)の再建である。1638年(寛永十五)には、嵯峨大覚寺の二品法親王が当寺に立ち寄り、景趣を眺望したのだが、その景色を気に入られた法親王大覚寺の末寺にしたそうだ。「福禅寺」の寺名もその頃つけられたものかもしれない。

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この対潮楼からの眺望は、1711年に通信使で来日した朝鮮の従事官・李南岡(李邦彦)が「日東第一勝形」と賞賛したことで有名である。
対潮楼の座敷には海から良い風が入り、本当に気持ちが良かった。いつまでも眺めていたい気分になる。

 

安国寺釈迦堂・庭園


続いて安国寺へ。安国寺と言えば足利尊氏国分寺に倣って全国に建てさせた禅寺の名だ。

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しかしやはりここも室町の動乱期に衰え、毛利輝元によって中興され、水野家に保護された寺である。江戸中期成立の『備陽六郡志』にも5つの塔頭が併記されているので、かつては寺の多い鞆の浦でも、ひときわ大きな寺だったようだ。

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反った屋根、弓形欄間、粽柱、礎盤と見事な禅宗様建築の釈迦堂と、県指定史跡である庭園が、往時の繁栄ぶりを今に伝えている。

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沼名前神社能舞台


沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)。

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式内社であるが、もとは渡守神社と祇園社という別の神社であったのを明治期に合祀したものである。式内社であるとどのように考証したのか知らないが、沼隈郡中で最も大きな社であったからそのように比定したのだろう。
ここにある能舞台は秀吉時代の伏見城から移築したものと伝えられ、国指定重文である。

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現地の説明書きによれば、この能舞台は組立式で、戦場にも持ち運べるようになっているユニークなものなのだそうである。簡素な作りなのはそのような事情があるためなのだろう。もしかしたら、秀吉は小田原や名護屋に、この能舞台を持って行ったのかもしれない。

ホテルの部屋から見た鞆の浦

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対潮楼が眼下に見える。

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平日とはいえ、この眺望の部屋に泊まれるとは……。シーサイドホテルさん、ありがとうございました。

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3日目終。鞆の浦にて泊。