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2016年・夏の旅(3日目その1)福山城、明王院、阿伏兎観音(広島県福山市)

8月26日。

今日も晴れ。朝から気温が上がりそうだ。
朝食は福山駅前構内の喫茶店で。地方といえど、広島県第二の都市である福山の朝は慌ただしい。電車が到着するたびに通勤通学客で構内はごった返す。そんな様子を眺めながら、朝の和定食をのんびり食べ、今日の予定を考える。

 福山城

まずは駅前にある福山城へ。調べたわけではないが、たぶん日本で最も駅から近い城だろう。ここには京都・伏見城からの移築である伏見櫓と、筋鉄御門の二つの古建築が残っている。両者とも国指定重文である。
駅の北口を出て左手を見ると、城はもうすぐそこだ。ただし城内に入るには、数十段の石の階段を登らねばならない。まだ朝だというのに全身から汗が吹き出す。

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息を切らせて階段を登っていくと、堂々たる筋鉄御門に迎えられる。石垣、柱、戸板と見るからに重厚で、実戦用途のものである。
現地の説明書きによると、


桁行10間、梁間3間、入母屋造、本瓦葺の脇戸付櫓門で、伏見櫓と同じく伏見城から移築された。下層の各柱には根巻き金具を付け、四隅に筋金具を打ち、扉にも12条の筋鉄を鋲打ちし、乳金具を飾るなど、堅固な造りとなっている。

 

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秀吉時代に建設された伏見城は、関ヶ原戦役の直前に鳥居元忠とともに焼け落ちたので、ここに移築されたものは17世紀に入ってから藤堂高虎の手によって成ったものだろう。近世城郭を巡っていると、彼の名前を本当によく見かける。

門をくぐり、天守をスルーして伏見櫓へ向かう。

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現地の案内によると、


伏見櫓は、桁行8間、梁間3間、3層入母屋造、本瓦葺の建物で、福山城築城にあたり、伏見城の松の丸東櫓を移築して建てられた。初層と二層は同じ平面で、その上にやや小さい三層を載せ、内部は階段を付け、床板敷き、小屋梁天井としている。城郭建築史上、初期の様式を残しており、伏見城の確かな遺構としても貴重である。

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内部は見られないが、破風や飾りなどが地味であり、また最小限で、これもかなり実戦を意識した緊張感のある建物である。伏見ではどのように使われていたのだろうか……。

 

明王院本堂・五重塔


福山駅に戻る。構内の観光案内所で次の目的地である明王院への行き方を尋ねる。どうやらバスを利用しても、最寄りのバス停からかなり歩かねばならないらしい。レンタサイクルでも行けないことはないですけど、と言われたが、丁重にお断りさせていただいた。この暑さでママチャリは自殺行為だ……。
駅前から鞆の浦方面へ行くバスに乗り、草戸大橋を渡ったところで降りる。この付近は往古、草戸千軒があった場所だ。
江戸中期の地誌、宮原直倁『備陽六郡志』沼隈分郡草戸村の項に次のような記述がある。


往昔、蘆田郡、安那郡邊迄海にてありし節、本庄村、靑木か端の邊より五本松の前迄の中嶋に、草戸千軒と云町有けるか、水野の家臣上田玄番、江戸の町人に新涯を築せける。水野外記と云ものいひけるは、此川筋に新涯を築ては、本庄村の土手の障と成へしと、かたく留けれとも、止事を不得して新涯を築、江戸新涯と云。其後寛文十三年(1673年)癸丑洪水の節、下知而、靑木かはなの向なる土手を切けれは、忽、水押入、千軒の町家ともに押流しぬ。此時より山下に民家を建並、中嶋には家一軒もなし。


洪水による一村消滅の様子が生々しく記載されているが、最新の考古学や歴史学の調査によれば、洪水によって消滅したのではないのだそうだ。
ふくやま草戸千軒ミュージアム

 

草戸バス停から川沿いに北西に1キロほど歩くと、左手に明王院が見えてくる。明王院の本堂と五重塔はともに国宝に指定されている。

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階段を上がると山門があり、その門下で地元の中学生らしき子供たちが静かに座っている。この炎天下、一体何をやっているのか? 社会活動? 意図がよく分からない。


山門をくぐると正面に本堂、左手奥に五重塔が建っている。

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本堂は1321(元応3)年の建立。現地の案内板によれば、折衷様の最古の現存例だという。

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和様が強いが、前面の桟唐戸は大仏様、拳鼻や屋根の反りに禅宗様が入っている。見えにくいが柱の上部が粽になっており、これも禅宗様だが、足元は和様である。内陣はもっとユニークなようなのだが、残念ながら外からちらっと覗うことくらいしか出来なかった。

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五重塔は1348(貞和4)年の建立。こちらは純和様の均整の取れた見事な塔である。
外からでは分からないが、松浦昭次『宮大工と歩く千年の古寺』によれば、普通は下まで貫通している心柱が初重の屋根で止まっており、初重の内部は四天柱が立っているのだそうだ。初重の内部を広く取り、弥勒や不動を祀るためであろうが、塔の重心を考えれば勇気の要るデザインである。しかし650年以上天災にも負けず立っているのだから、その試みは大成功だったと言って良いだろう。

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なお、明王院の公式サイトなどによれば、五重塔の頂部に置かれた伏鉢には、「一文勧進の小資を積んでこの塔を造立した」と記されているそうだ。一文勧進でこのような立派なお堂が建つのだから、門前にあった中世の草戸千軒の繁栄ぶりが偲ばれる逸話である。

 

磐台寺観音堂(阿伏兎観音)

 

さて、暑さの中を再び歩いて草戸バス停まで戻り、次の目的地、鞆の浦を目指す。バスの便数が比較的多いのが救いだ。
30分弱バスに揺られて鞆の浦へ。私は今まで瀬戸内の港町をいくつも訪ねてきたが、ここはその有名さのわりに、意外な程こぢんまりした町だ。

今晩の宿泊先のホテルに荷物を預け、いったん松永行きのバスに乗って、鞆の浦の南西にある阿伏兎へ行く。
鞆から松永へは沼隈半島の山間部を抜ける必要があり、特に鞆の浦の辺りは狭い町中を走るので、土地勘の無い観光客の車との離合が大変である。連休中など大渋滞を引き起こすことが多いという話も聞いた。生活のために車が必要な地元住民が橋を必要とする気持ちもよく分かる。

行政は、鞆の浦を訪ねる観光客には公共交通機関を使うように勧めるべきではないかと思う。車で巡らなければならないほど大きな町ではないのだから。

 

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さて、閑話休題。阿伏兎観音、正式名称は磐台寺観音堂である。
お堂は沼隈半島が瀬戸内海に突き出たその南西の先端部に建っている。

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観音堂は寛和の頃、花山法皇が岬の岩上に十一面観音の石像を安置したのがその始まり、との伝が現地の案内板に書かれている。出典が明記されていないから何とも言えないが、花山法皇は在位中に突然出家して西国三十三ヵ所巡礼を始めた(寛和の変)として知られているから、おそらく開基の伝説はその法皇の信心に仮託したものであろう。

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また、磐台寺は南北朝のはじめ、「暦応年間(1338~1342)に覚叟建智によって開山された」と現地の案内板に書かれているため、ネット上の情報も全てそれに倣ったものである。

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先出『備陽六郡志』に、崎門三傑の一人である儒者、中嶋道允による縁起が引用されている。要約すると以下のようなものである。


鞆の浦の南、江浦に住む漁師が夢のお告げで熊野三山を詣でて、現地で土木奉仕をした。江浦に帰って漁をすると石像の観音が網にかかった。その像を阿部戸の崖の上に安置し、樹木でもって日や風から守った。その漁師がまた夢を見ると、汝は信心が篤くよく働いたので霊物を授けるから、代々「三山」という名字を名乗るべしというお告げがあった。その話を聞いた寶大寺の建智和尚が、毛利輝元に働きかけ、崖の上に磐台寺観音堂が建てられた。

 

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寶大寺は吉祥山宝大寺として現存している。この話に出てきた建智和尚は、覺叟建智といい、やはり天正年間(1580頃)に宝大寺を開山した僧である。
現地案内板の暦応年間という話がどこから出てきたのか、出典が明記されていないので確かめようがないが、磐台寺と寶大寺を開山したとされる覺叟建智が同一人物ならば、磐台寺の創建もやはり同じ室町末期ということになるのだろう。
やはり『備陽六郡志』に、享保十七年に鋳造された銅鐘の銘が引用されている。そこにも磐台寺の創建は天正年間で、万治年間(1658~1661)に振興されたと記されている。
歴史的事実として確実に言えることは、毛利輝元が観音堂を建立し、その後福山に入封した水野家が磐台寺を大きくしたということだけである。

しかし、地理的に見て海上交通の要地であったに違いないこの地が、古代中世から注目されていた可能性は十分にありうることであると思う。

 

その2に続く