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奥多摩鴨沢から雲取山へ(泊)

山行 日本百名山 神社 関東百名山

先週かねて予定していた両神行が、事情があって中止となった。
その埋め合わせとして、東京都最高峰の雲取山を含む縦走路を、1泊で歩いてみた。
私が雲取山に登るのは実は初めてのことである。この周辺の山々は殆ど歩いたことがあるのだが、ひねくれ者の私は、雲取のそのポピュラーさ故に、今まで近寄ることを避けてきたのである。

 


また多摩川上流部への、個人的なアクセスの悪さも入山を遠ざけてきた原因の一つとなっている。自宅からは上州・越後、秩父・奥武蔵・外秩父JR中央線方面と全てアクセスが良いのだが、たまたまJR青梅線へのアクセスだけが悪いのだ。どんなに急いでも7時30分奥多摩駅着がやっとなのである。

出発

6月1日。5時半、自宅を出た。

予報は晴れであるが、空には筋状の雲が広がり、嫌な気配がする。JR青梅線下りに乗る。上り電車は6時半だというのに既に通勤客で一杯である。
御岳辺りで曇り気味だった空が、徐々に晴れる。

7時半、予定通りJR奥多摩駅に到着。

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氷川は昨秋の三ツドッケ登山以来だ。この時間はバスの便が小菅行に限られるためか、降りたハイカーの数は割合に少ない。
留浦経由の小菅行バスに乗る。15人ほどが乗った。わざわざ丹波方面の留浦を経由していくのは、私のようなアクセスの悪い雲取方面行きの客に配慮してのことか。西東京バスはハイカーにとって本当に有り難い存在であると思う。
8時10分頃、留浦バス停に着。私の他に2人の登山者が降りる。これでバスは空になった。すぐ前の駐車場にあるトイレを借り、日焼け止めを塗って、鴨沢の登山口を目指して歩く。バスから同時に降りた2人は先行したようで、既に姿が見えない。平日朝の青梅街道は静けさに包まれている。

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鴨沢集落

留浦から10分ほどで小袖川が奥多摩湖に注ぐ鴨沢橋につく。小袖川は1890年頃成立の『山梨県市郡村誌』では「境川」という名で呼ばれていることからも分かるように、ここが甲武の国境である。『甲斐国誌』によれば、かつては奥多摩町境集落がその名の通り国境線だったようだが、近世以降は鴨沢の東、小袖川が国(都県)境となっている。
集落の入り口に、集落名の元となったと思われる賀茂(加茂)神社がある。『甲斐国誌』には、「賀茂澤にあり。産神なり。神主は武州多摩郡留浦村の酒井式部兼帯」とある。当地の周囲の社は修験関係が多いことから、当地入植以来の古社であろうことが推察される。
鴨沢集落は南の奥多摩湖、かつての丹波川を見下ろし、南向きに家屋が几帳面に並んでいる。奥多摩湖の上流部ではあるが、それでも田島勝太郎『奥多摩』(1935)の記述から、現在の青梅街道の下にあった家は何軒か水没したものと思われる。
登山口のそばには湧き水を汲める場所がある。水量もなかなか豊富で、ここで水を確保するのも良い。

登山開始

8時半、民家の間を通って、小袖乗越までの近道を行く。
田島勝太郎『山行記』(1925)では、田島は鴨沢を出発しあえて後山川から片倉谷に入り、政右衛門窪で休憩、登り尾根に出て七ツ石に至っている。かつては造林などの関係もあり、他にいくつも道が存在したようである。

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8時55分、小袖乗越に着く。無料駐車場が有り、15台ほどの車が駐まっている。ここから左に行くと所畑やお祭集落に続くが、舗装道を小袖に向けて北へ行く。しばらく行くと左手に登山口が現れる。その前にトレランの選手と思われる方がいて挨拶する。
舗装道をまっすぐ行った先にある小袖にある羽黒神社(『甲斐国誌』によれば元禄年間の棟札があったという)が気になったが、登山道に入る。羽黒神社から登る道も地図上には記されているのだが、状態が分からないので慎重を期した。

ここからは植林帯の緩い上り坂が続く。話しながら歩いて上がってきたトレランの2人に軽く抜かれる。

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ウツギの花が満開。マルバウツギか。

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9時20分、廃屋に着く。田島『奥多摩』には、鴨沢、小袖の上に「尾崎」という名の集落があったことが記されている。

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カタバミ

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エビネ

周囲は放置された畑が、山に帰ろうとしている。

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9時半、石祠に着く。左の山の神は明治七年(1874)と読める年号が刻まれている。旅の無事を祈って手を合わせる。
徐々に高度が上がり、南に三頭山が見えるようになる。標高1000mを越えた辺りで、右から小袖鍾乳洞から上がる道があるはずだが見当たらない。

鍾乳洞は『甲斐国誌』に詳述されていることから分かるように、古くから知られた洞穴で、伝説では日原の鍾乳洞と奥で繋がっているという。しかし1970年代初め、付近は赤軍派奥多摩ベースとなり、洞内は射撃訓練場として利用された。そのためか現在は立ち入り禁止になっている。

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10時10分。1150m付近に水場がある。この日は涼しく、手持ちがまだ2Lあるので寄らなかった。付近でソロの男性何人かとすれ違う。早朝立ちだろうか。バスの時刻を聞かれたが、知らないと答えた。七ツ石小屋に時刻表があるのだが、巻き道を利用したのだろう。

堂所

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10時半、堂所到着。付近は平地がある。鴨沢コースは、かつては七ツ石社への参道であった。祭日にはここに屋台が立ち、昭和30年代までは賭場が開かれていたというから凄い話である。しかし今はその面影すら無い。

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水源保護林が現れ、徐々に視界が開けて時折富士の姿が覗く。

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チチブドウダン。

七ツ石小屋

11時20分、七ツ石小屋下に到着。ブナ坂への巻き道があるが、あくまで七ツ石山を目指す。この付近から下山者と頻繁にすれ違うようになる。このコースは下山道としてもメジャーなのだろう。

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11時半、七ツ石小屋に着。水場やトイレも揃った、丹波山村営の立派な小屋である。4月末の連休からは管理人が常駐している。
この上からは分岐が連続するが、道標が整備されており、迷う心配は無い。

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11時50分、石尾根縦走路に出る。現在では一般に「石尾根」と呼ばれるが、そもそもは「七ツ石尾根」が縮まった呼び名である。

七ツ石神社

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ほどなく七ツ石神社に到着。崩壊しかけである。

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つっかえ棒で支えてあるし、そう古い社殿ではないことから信仰が続いていることが分かる。これも壊れかけの狛犬がいるが、三峰系のオオカミであるように見える。

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社殿の裏から石灰石の巨岩が山頂に向けていくつも佇立している。宮内俊雄『奥多摩』に「元は石そのものが御神体であったのに相違あるまい」とあるように、これらの巨石を信仰した聖地が、本来の姿なのであろう。であるから、社殿などというものは必要ないのである。むしろ朽ちていくのが正しい姿なのである。
河田羆『武蔵通志』によれば、七ツ石山は丹波方面の称であり、日原では「唐松谷ノ峰」と呼んだようである。丹波は山中の具体的な形象から付けた名であるのに対し、日原は谷の名称を転じての山名である。
このことからも七ツ石が丹波山との関係が深い山だということが分かるし、三峰系の狛犬が置かれていることから、三峰との連絡があったことも推測できるのである。

七ツ石山

山頂は神社から指呼の距離である。

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12時ちょうど、七ツ石山に登頂。三等三角点1757.3m。

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東は石尾根、西に飛龍連山に視界が開け、南は富士と大菩薩の素晴らしい眺望である。南アルプスも見え隠れし、三頭山の向こうには、奥道志の雄峰・御正体山まで見渡せる。
甲斐においては、雁峠からこの七ツ石山までを「飛龍連山」と称する(山梨県山林会『南アルプスと奥秩父』1931年)。
前出の宮内『奥多摩』では、この七ツ石山に詳細な検討を加えている。中でも

 

元禄年間(に描かれた地図には)(中略)「七ツ石峠」とあり、説明に「此七ツ石峠峯通国境」と記入されているのだ。


と有るのは興味深い。古くは峠と呼ばれていた時代があったのだ。つまり先の私の推測と同じように、宮内は七ツ石山及び雲取山を経由した「丹波山と三峰の連絡路」があったのではないかと考えていたようだ。

石尾根

小休止のあと、雲取を目指し歩く。

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石尾根の防火帯を歩く。草原には鹿が食い残したマルバダケブキだけが繁茂している。フキには灰汁があるのだろう。水源林として植林されたカラマツやブナが美しい。
この辺りでどうやら山頂までの目途が付いたので、景色を眺めながら遅い昼食を取る。

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ジシバリ。イワニガナの別名があるように、これも苦い(漢方では胃腸薬とされる)ので鹿は食わないようだ。

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ヤマツツジレンゲツツジか。私の目とカメラでは区別できない。

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ヤマザクラが満開であった。思わぬところで今年最後の桜。

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サラサドウダン。

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13時過ぎ、奥多摩小屋に着。ヨモギ尾根からの道と合流する。ここから雲取山荘まで水場が無いので、小屋からやや下るが面倒でも水を汲んで置いた方が良い。

水場のあたりにはかつて甚助小屋という作業小屋があり、登山者なども泊まったというが、今は尾根や谷の名称として残るだけである。

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カラマツとトウゴクミツバツツジ

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富田新道との合流点。姫笹が繁り、高原の雰囲気が出てくる。いくつか小ピークを越えたが小雲取山はどこだか気づかなかった。

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この付近の鹿は人を恐れるどころか、近寄ってくる個体が多い。まさかとは思うが、食べ物をやっている人間が居るんじゃあるまいな……。

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避難小屋が見えたら最後の急登である。ここまで来れば焦ることは無い。ゆっくり行こう。

雲取山

14時、雲取山避難小屋に着。

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山頂は小屋の裏、歩いてすぐの所にある。避難小屋前のピークに登って安心し、そのまま帰ってしまった人も居るとか居ないとか…。

雲取山の名称は、おそらくは熊野参道の最大の難所である大雲取越、小雲取越からで、三峯の修験者が付けたものであろう。

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一等三角点。2017.1m。某犯罪予告&誤認逮捕事件の舞台となった現場である。この脇には測地上重要な明治時代の原三角測点がある。

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飛龍山に黒雲が…。まさに龍が登りそうな。

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和名倉山。

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八ヶ岳方面の夕景。
夜は避難小屋に避難する。17時頃までに三々五々ソロの登山者(全て男性)が集まり、最終的には同宿者は7人になった。皆さん本当に礼儀正しい紳士ばかりだった。

しかし夜はなかなか寝付かれず、何もすることが無いのでFMラジオを聴いていた。それでも22時くらいには寝付くことができた。

明日に続く。