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雲取山から三峯神社

山行 神社 日本百名山 関東百名山

6月2日

未明から強烈な北風が吹き始め、気温が急降下した。春先に多い、日本海低気圧が発達しながら北海道の東に通過して起こる吹き返しであるが、この時期には珍しい。いわゆる「やませ」とも違う季節外れの北風である。
小屋の外には2つの温度計が設置されているが、一つは3度を、もう一つは0度を指していた。降水すれば雪になる温度であるが、幸いにして快晴である。午前2時頃トイレに行ったが、写真を撮らなかったのが悔やまれるくらいの素晴らしい東京方面の夜景と満天の星が彩る夜空であった。

 

 

午前4時前

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東京方面。田島勝太郎『山行記』(1925)には、山頂から芝浦沖に停泊する汽船が煙を吐いている姿や、浅草寺の甍が見えると書かれていて、震災で崩壊した浅草十二階を惜しむ人の声を描いている。

現在でも条件が揃えばスカイツリーが見えるらしい。

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東の空が明るくなり始める。寒いのでフリースなどを重ね着した上にレインウェアを着るが、それでも寒い。気温が0度なのだから、体感温度は氷点下であろう。

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4時20分には日が昇り始めた。風は身を切るように冷たいが、今日も良い天気になりそうである。

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南アルプスが遠望できる。

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小屋に戻って朝食を取り、軽く掃除。トイレは近年建て直したようで、しっかりした物になっている。

トイレについて

しかしそのトイレに問題が一つ。しばらく愚痴になるので、読みたくない方は飛ばしていただいても良い。

トイレの建物には男性用小便器と大便器の個室が並んでいるのだが、問題は後者である。便器の中には当然、紙を捨ててはならない。しかし多くの利用者が、使用した紙を便器の横に放置しているのである!
本当に目を疑うような光景であった。日本人は他人が見ているところではマナーが良いが、誰も見ていない場所ではこれだから始末に負えないのだ。これでは最近、日本で流行っている某国人のマナーの悪さを嗤うことなんて出来ないのではないか?

言うまでも無いことだが、山中で自分が使用した紙は、密封できるビニール袋などに入れ、自分で持ち帰るのが鉄則である(本来は便も携帯トイレを利用して持ち帰るべきである)。それが嫌なら山中のトイレを利用してはならない。この汚物の山を誰が片付けるのか、少しは想像力を働かせてみて欲しい。その方はどんな思いで片付け、背負い、下山するのだろうか。

本来避難小屋は、名前の通り緊急避難のための小屋である。だからこそ利用者は、営業小屋を利用する人以上にマナーを守り、宿泊後には来た時以上に綺麗にして、出発する義務があると思う。こんなことでは、この貴重な避難小屋の存在自体が問題になる可能性もあるのではないか。
良い夜を過ごし、素晴らしい日の出を見た後だけに、本当に悲しい光景であった。

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同宿の方々に挨拶し、5時半に小屋を出発。山頂に寄ってから雲取山荘への急坂を下る。

雲取山

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6時に雲取山荘に到着。ここで残り少なくなった水を補給させてもらう。山頂では入らなかった携帯の電波もここでは入るようになっている。さすが。
雲取山荘は本当に立派な山小屋だ。山小屋なんて失礼かな。まるでホテルみたい。これで1泊2食で7800円で泊まれるんだから、連休中には200人収容が満杯になるというのも分かる気がする。

三峰コース

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男なら男坂。巻き道に女坂と付けないのが良いね。トランスジェンダーでも安心。

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廃墟と化した雲取ヒュッテの向こうに芋ノ木ドッケと白岩山。

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6時25分、大ダワ着。大ダワ林道は通行不能になっている。まあ日原方面からは富田新道があるからね。…と、ここで田部重治と鎌仙人の記念碑を見忘れたことに気づく。しまった……。まあまた来れば良いか。

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カラマツ、ダケカンバ、シラビソ、ツガなどの美林を歩く。風が冷たくて新緑なのに11月くらいの感じ。本当に気持ちが良く生き返るような感じがする。ああ、山を下りたくないな。

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6時50分、巻き道との分岐。ここで私は迷わず芋木ノドッケ、つまり長沢背稜方面への道を選んだのだが、これが誤りであった。

芋木ノドッケ

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7時15分、芋木ノドッケ(1946m)に登頂。全く眺望の無い、味も素っ気も三角点も無い山だった。全ての頂上を制してやる! 的なピークハンターの方以外は登る必要は無いであろう。

芋木ノドッケは芋ノ木ドッケとも呼ばれ、紛らわしい名称である。木暮理太郎によれば、イモギもイモノキもコシアブラの俗称で、コシアブラの多い山のトッケ、つまり尖峰のことであろうということで、どちらも正しい名称らしい。その考証が載っている宮内俊雄『奥多摩』には、秩父大血川での名称は「白岩山」だという。これから北に向かうと白岩山なわけで、つまり大血川では芋木ノドッケも白岩山の一部として解されていたというわけである。

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ここから白岩山までのコースは荒れ放題であった。やはり通る人が少ないのであろう。後述するように、伊勢湾台風で大打撃を受けた山林の回復途上の様子が観察できて、そういう趣味のある方は見てみるのも一興だと思う。この日は一面に生えているコメツガやシラビソの花盛りだった。

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埼玉県の芋ノ木ドッケの標柱は、巻き道との合流点の尾根の鞍部にある。「ドッケ」を「トゲ」ではなく「峠」と解する説を採ったのだろうか。宮内『奥多摩』には、ここを「ソーデーラ」と呼ぶと書かれている。紛らわしいので何とかした方が良い。

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白岩山付近からは西への展望が開け、奥秩父の嶺峰がエメラルドのように輝いて美しい。最奥に見えるのは八ヶ岳の赤岳か。

白岩山

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7時50分、白岩山(1921.2m)登頂。この辺から三峰から登ってきた人とすれ違うようになる。早朝かなり早い時間帯に発っているのだろう。

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白岩山の周囲の森は、一部が1959年の伊勢湾台風で破壊された。そこで被害を免れたコメツガやシラビソの極相林と、一旦更地になり、草地から次第にダケカンバが林立し始めた若い森の対比によって、亜高山帯の森林がどのようにして形成されるのかがよく分かるようになっている。

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ダケカンバ。

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8時10分、白岩小屋到着。崩壊気味。水場は10分ほど下ったところにあるらしいが、案内などは無い感じだった。トイレは仮設が1つ設置されているが、どうやってくみ取りしているのだろう…。

小屋の裏からは和名倉山とその派生尾根の展望が素晴らしい。右奥には両神山や西上州の山、和名倉山の奥には甲武信ヶ岳三宝山の頂部が見える。

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右に両神山

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右に和名倉山、東仙波、西仙波。奥で雲を被っているのが甲武信ヶ岳三宝山。

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こうやって見ると和名倉山の重量感というのは相当なものだ。これを200名山に選んだ深田クラブの人はさすがに渋い趣味をしていると思う。

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ツツジの絨毯

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マイヅルソウ。葉が舞鶴紋に似ているから付けられた名前だそうだ。

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8時45分、前白岩山(1776m)着。

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名称不明の草。苔が生えた、美しい森が続く。

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9時、前白岩の肩に着。この周辺は急な岩場の下り坂とアップダウンが続き、反対の登りで使う時は大変だろうなと感じる。しかし山岳事故は下りに起こるのが通例だから、縦走の場合は登りに大変な道を使った方が良いのかもしれない。

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9時40分、お清平に着。宮内俊雄『奥多摩』によれば、三峰の修験者が読経をした場所から転じた名称だそうだ。「お経でえら」である。

霧藻ヶ峰

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10時、霧藻ヶ峰休憩所に到着。

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その前で少し早いが両神山を眺めながら昼食にする。お湯を沸かしていたら、可愛い犬を連れた男性が三峰側から上がってきた。話を聞けば、槍ヶ岳に20回は登ったという剛の者であった。

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秩父宮雍仁王ご夫妻のレリーフ。スポーツ好きな宮様で、ラグビー場のイメージだが、この霧藻ヶ峰の名付け親でもあるそうである。調べたらマッターホルン登頂経験もあるそうだ。凄い。
ちなみに毎年6月に奥秩父の山開きがここで行われるとのこと。

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しばらく行くとアセビの大群落。

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山頂三角点。1523.1m。

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10時53分、地蔵峠着。天保13年(1842)と読める地蔵。

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大正11年(1922)1月に大滝村秩父市大滝)が建設した古い道標が残されている。
「右ハ雲採山ヲ超へ北都留郡西多摩郡至ル」「左ハ大日向山旧道」「後ハ三峯神社ニ至ル」
北都留郡西多摩郡の境といえばまさに鴨沢である。やはり私や宮内俊雄の推測通り、三峰と鴨沢は、雲取越えの道で古くから往来があったのであろう。

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さて、11時となった。三峯神社を出るバスは1日5便。12時35分発のバスがちょうど良いのだが、私は神社の宿泊施設にある温泉で一汗流そうと思っていた。そうなると次は14時35分発で、時間が余りすぎる。しかし急ぐ旅でもない。せっかく山に来ているのだからゆっくり休みながら時間を掛けて歩くことにした。

三峯神社

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12時35分、登山口着。神社に参拝し無事下山を報告。

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ゆっくり温泉につかり、食堂で食事を取り、三峰口駅までバス。

久方ぶりの三峯神社は多くの参拝客で賑わっていて驚いた。連休中は車の列で身動きが取れなくなるほど混雑するとは聞いていたが、平日にこれだけの人出があるというのは、正直驚きである。こんなことならロープウェイを廃止しなければ良かったのではないか?

パワースポットとか言う広告宣伝の効果かな。しかし、建て直された随身門や御社殿もすっかり神社然としてしまっていて何だかなあ。奥の院なんて名前が「妙法ヶ岳」じゃないか。もろに仏教だろうに。そういう所も含めて日本らしいといえば、そうなるのかな。理屈っぽい私が生きにくくなるのも当然というわけだ、と妙に納得して今回の山旅は終了である。

総評

2日間、天候に恵まれ素晴らしい山行だった。鴨沢コース、三峰コースともに良く整備され、また景色も森林も美しく、申し分の無い縦走コースだった。水場もトイレも割と多く、その点も安心できる。

個人的には登るだけの鴨沢→アップダウンのある三峰、の方が楽だと思うがそこは個人差があるだろう。

小屋に同宿した方は、長沢背稜に行かれる方、飛龍山に向かう方、石尾根を下る方と様々だったが、どれも興味深いコースだと思う。

今まで個人的な理由で遠ざけてきたが、やはり雲取山は多くのハイカーを惹きつけるだけはある山だと思った。これからは食わず嫌いしないようにせねば。