奥武蔵アルプス縦走(名郷-鳥首峠-大持山-小持山-武甲山-橋立口)

本格的な山歩きは、ほぼ半年ぶりということになってしまった。

5月12日。昨日までの雨と風が雲をきれいに吹き飛ばしてくれた。まさに五月晴れの好天である。

今回の目標は、誰が呼んだか「奥武蔵アルプス」の縦走である。下旬に予定している両神山行の足慣らしとして、多少のアップダウンと軽い岩場があるコースとして選択した。またスマホGPS機能も試してみたい。

午前6時55分。国際興業バスの下り始発バスである飯能駅北口発・湯ノ沢行に乗車して出発。車内はハイカーと通勤客で半々。途中乗車してくる客もあり、原市場あたりでは座席はほぼ埋まるほどであった。この乗車率なら、もう一本早い便を出しても良いような気がする。
車窓からは新緑に萌える山々が見え、期待が高まる。古い農家の庭先に植えてある桐が、紫色の美しい花を咲かせていたのが印象に残った。
河又で夫婦連れのハイカーが降りた。たぶん棒ノ折へ行くのだろう。入れ替わりに中高年のグループが乗車してきた。こちらはおそらく名栗湖の駐車場に車を止めて、名郷までバスで行くつもりなのだろう。そこから蕨山か有間山を周回するつもりだろうか。

午前8時前。バスは定刻よりやや遅れて名郷に到着。バス停脇にあるトイレを借りて、即座に出発。ハイカーはグループが一組、ソロが私を含め3人ほどだっただろうか。しばらく歩いて後ろを振り返ったが、後に続く人はいないと見えて、それぞれ別々のコースを行ったようだ。バス停北には商店が有り、自販機があるので飲料水を購入することが出来る。今日のコースは水場がないので、買うかどうか迷ったが、自宅から1.5L持ってきていたので十分だと判断して購入しなかった。


大持山から武甲山に至る「奥武蔵アルプス」コース道は、この名郷から幾通りかある。ハイキングコースとしては3通りあり、一つは名郷から北西に入った山中集落から北の妻坂峠。もう一つは山中から西のナギノ入からウノタワに登る道。そして私が選んだ西の白岩廃村から鳥首峠に登る道である。
なぜ私が最後のコースを選んだかというと、3年前に白岩廃村から秩父浦山の冠岩廃村を訪ねる道を辿ったことがあり、白岩がその後どうなっているのか気になったからである。

名郷からしばらくは埼玉県道73号線を歩く。大鳩園のキャンプ場は、売店が新しくなっていて、飲み物の自販機も設置されていた。さらに奥の白岩渓流園キャンプ場を過ぎると、人家はなくなる。

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摩滅しかかった地蔵尊に道中の安全を祈願する。

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白岩集落の名前の元となった石灰岩の露頭が見える。

8時半。JFEミネラル(旧・日本鋼管)の石灰石採掘場が見えてくる。浅見徳男『埼玉ふるさと散歩』によれば、ここは昭和初期からの採掘場で、中断されたこともあったようだが、1966年から再開され今年で50年になる。私が到着した時間は始業前だったと見え、無人だったが、私有地なので場内に入り込まないように注意したい。

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登山道入り口にある白岩集落についての説明書き。1980年代までは有人だったようだ。

ここからは山道なので、念のために泥よけのスパッツをはく。しかし山中は思いの外乾いていて、結果的にスパッツは必要なかった。

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9時前。前方の山上に巨大な白岩が見え、廃村が現れる。一番名郷寄りの家は、3年前既に傾いていたが、とうとう崩壊していた。
神山弘『奥武蔵點描』(1944)によれば、この白岩集落は神林速人之守という武士が京都高倉三条から落ちてきて開拓したのだという。しかし神林という姓は越後に多い。後述するが、戦国期に北の大持山辺りに、越後一揆衆が立てこもったことがあったらしい。それとの関わりがあれば面白いのだが、住む人が居なくなった今となっては確かめる術もない。

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唯一人の手が入っていそうな神林家。廃村目当ての侵入者がいるのだろう。無人とはいえども、所有者がいることを忘れてはならない。


朽ちていく廃村を後にして、鳥首峠を目指す。この辺りは時折露頭している石灰石の他は杉林ばかりである。旧名栗村は、江戸で「西川材」として知られた名木の産地であった。特に大きな山持ちは「鳥居大身」、「新館大身」と呼ばれ、東京浅草に大店を構え、鎌倉平塚に別荘を持つほどだったという(高橋源一郎秩父多摩山・総の海』1932)。そんな昔に想いを馳せつつ峠を目指す。というより、考え事をしながらでもないと針葉樹の山道は詰まらなくて歩けないのである。

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沢水の有るところには、ヒメレンゲが咲き、その中でマムシグサが鎌首をもたげていた。目立つものはこの程度。

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9時40分。鳥首峠に到着。「通りクビレ」が転訛しただとか、「秩父浦山から遠望すると鳥の首のように見えるから」等、命名論に諸説あるが、本当のところはもう誰にも分からないのだから、そのどれもが正しいのだろう。
ここは風の通り道にもなっていて、すこぶる冷涼だった。見上げると八重咲きの桜が咲き残っていた。これが今年最後の桜だろう。

ここからは稜線歩きである。秩父側は落葉樹林で明るく、時折大平山方面の尾根も見え、気持ちが良い。

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日陰にフイリフモトスミレがひっそり咲いていた。

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1059mの小ピークから見たウノタワ前のピーク。この稜線は小ピークが多く体力を消耗する。

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展望は良い。西の大平山北尾根、その向こうの矢岳方面であろう。

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名栗側は相変わらずの杉林だが、秩父側はナラ系が多い感じ。木で行政区分が分かって面白い。秩父側の落葉樹も年の若いものが多い。そう遠くない昔に植樹されたものだろう。
この辺りから岩場とミツバツツジが増える。

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10時40分。ウノタワ到着。水場さえあればテン場によさそうな開けた土地である。昔、鵜の住む池があったからその名が付いたとされるが、秩父浦山から東方向のタワだから「卯のタワ」なのではなかろうか。

横倉山への急坂を登る。時折覗く東の展望とツツジが素晴らしい。

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かわいい手製の名札が掲げてある1197m峰・横倉山登頂。ミツバツツジが盛りだった。

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大持山の少し手前、妻坂峠からの道との合流点は、東への展望が素晴らしい。ちょうど11時を過ぎたので、関東平野の景色を眺めつつ昼食休憩。
眼下に名栗の集落が小さく見え、向こうには西武ドームの屋根が銀色に輝いている。

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遥かにスカイツリーも。

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11時半、奥武蔵の主峰、関東百名山、大持山(1294.1m)に登頂。

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三等三角点
1300m近い標高だが、日差しが強く、徐々に気温が上がって相当な暑さになった。雨の翌日ということもあってかアブやハエが飛び回り、鬱陶しい。

この大持山、古くは持山と称していたらしい。かつては武甲山麓に持山寺があり、『新編武蔵風土記稿』にも「持山」の項がある。おそらく武甲山南の山域を持山と称し、近代に入ってから高い方のピークを大持山、低い方を小持山というようになったのだろう。

『新編武州古文書』には、1572年(元亀3年)に北条氏邦が発給した命令書が載っている。

上杉一揆名栗谷を通都摩坂を越、楯籠持山之由、右此為押根小屋江差遣候、(以下略)

「上杉勢が名栗谷から妻坂峠を越え、持山に立てこもったので、応援をよこすから横瀬の根古屋城を中心として守備を固めよ」という内容である。

前年に北条氏康が亡くなった際に、越相同盟を破棄し武田信玄と同盟せよという遺言をしたために、後を継いだ北条氏政は上杉領の上野に侵攻し、この頃利根川をはさんで上杉謙信と対峙していた。その上杉軍の分隊が武蔵に入り込み、進退窮まって山に立てこもったのだろう。前述の白岩集落草分けの神林速人之守が、この軍勢の一員だったとしたら……なかなかドラマティックではないか。

 

ここからの稜線は多少の岩場とアップダウンがあるが、危険な場所はそうはない。途中、雨乞い岩というビュースポットがあるのだが、その狭い岩の上で食事をしている夫婦がいたので寄れなかった。できるだけそういう場所を占拠するのは遠慮すべきだと思うのだが…。
12時10分、暑さにあえぎながら小持山(1269m)に登頂。ここからは北の展望が素晴らしい。

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左に武甲山。日光男体山赤城山も見える。
武甲山はすぐそこに見えるが、登るにはいったんシラジクボ(1088m)まで降りねばならない。山では地図上の直線距離が当てにならないことが実感できる。

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そのシラジクボで若い男女のハイカーに、そこから持山寺跡方面に降りられるか道を尋ねられた。私は軽い驚きを禁じ得なかった。山中で身元の不確かな人間に道を聞ける無邪気さに驚いたのである。たまたま私が親切な人間だったから良かった。しかし訊いた相手が悪意のある人間かもしれないではないか。彼は仮にそこが迷い道に繋がる廃道なのにも関わらず、あえて正しい道だと教える人間かもしれない。そうであった場合、待っている事態はどのようなものだろうか。
言うまでもないが登山は究極の自己責任行為である。先の連休で、奥武蔵・奥多摩という狭い地域に限っても、2人の方が命を落としている。自らの命を左右する決断を他人に委ねて良いはずがない。

 

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木の間から両神山が見えた。奥武蔵アルプスからは両神山方面への展望はほとんど無い。

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ここから先はスミレやニリンソウ、ノイチゴの花が沢山咲いていた。可憐な花が疲れた心身に癒やしを与えてくれる。
登りは急だが、もう頂上まで下りがないと思えば苦にはならない。やはり小ピークの連続は体力を奪う。山頂近くまで来ると、多くのハイカー集団とすれ違うようになった。やはり都心に近い200名山だけあって、平日でも人が多い。

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13時20分、武甲山頂前の御嶽神社に到着。
日本二百名山の山頂はそのすぐ裏手である。

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山頂には人がおらず、秩父盆地を日光から上信越に至る山々の景色を独り占めであった。

下山路はダンプトラックやタンクローリー車が行き交う表参道を避け、橋立口に至る裏参道を選択。2013年10月に初めて武甲山を訪れたときに降りた道で、歩きやすかった覚えがある。

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その記憶通り現在でもよく整備されていて、15時前には橋立林道の終点に着いてしまった。やはりNHKの番組などで200名山に注目が集まっているからだろうか。登山者も多く、登山道はさらに整備が進んでいるようだった。

16時すぎの秩父市営バスを待つ間、橋立堂の敷地内にある土津園でソフトクリームを頂き、今回の山行は終了。「山と高原地図」のコースタイムを元に立てた計画より10分遅れで出発したが、到着は30分ほど早かった。

 

さて、足慣らし山行の成果だが、肉体面はまず合格と言って良いだろう。2月3月の花粉期を引きこもり、GWの連休を寝て過ごした割りに、まずまず歩くことが出来た。
ただし暑さに対する見積もりが甘かった。水は出発時1.5Lで充分と判断したが、下山時に尽きかけて節約したところ、林道に出た辺りで脱水の症状(手足のしびれ)が出た。2Lは持って行くべきだった。行動食にはナッツの詰め合わせを持って行ったのだが、事前に塩をまぶしておけば、塩分不足の備えにもなり、なお良かったと思う。
ただし今回は初夏の日帰り行だったので、荷物が軽かったというイージーな側面があったことも否定できない。そこで来週は、泊まり用の装備を持った上で、足慣らし山行Part.2を実行したいと思う。

スマホGPS機能について。結論から言って、これは驚くほど使えた。地図上で現在地がほとんど正確に分かるのは、目標への目安にもなり、それが心理的な安心感にもつながり、本当に便利だった。

もちろん紙の地図とコンパスは今後も必携だが、スマホと電池切れに備えるためのモバイルバッテリーは、今後も持ち歩きたいと思う。