田島ヶ原サクラソウ自生地(埼玉県さいたま市桜区)

天候が安定しない4月上旬。ようやくすっきり晴れてくれたこの日を狙って、国の特別天然記念物に指定されている、荒川河畔の田島ヶ原に桜草を見に行ってきた。

田島ヶ原へ行くには、自動車よりも電車やバスの方が便利かもしれない。私は志木街道を延々東に下ったが、信号待ちや自然渋滞が多く、少し運転に苦労した。到着したのは平日の午前中だったが、それでも駐車場はほぼ満車であった。桜草開花時の土日は、絶対に公共交通機関を利用すべきだと思う。

 

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其処此処に桜草の小コロニーは見られるが、ノウルシの勢力の方が強く、どちらかというとノウルシ保護区の様相である。この景色から、一面が桜色の絨毯が敷かれたようになり、東北線の上り列車に桜草の花束を抱えた女性が大勢乗ってきたという往時の面影を想像するのは、残念ながら困難だ。

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1株を観察すると、茎がか細い割りに長く伸びて花弁が大きく華奢である。このスタイルの良さも愛好家を増やした理由であろうが、またそれがために数を減らしてしまったのだろう。

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白い桜草も3輪だけ確認できた。

田島ヶ原では、桜草以外の貴重な植物も観察できる。

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絶滅危惧ⅠA種(環境省レッドリスト)のトダスゲが穂を伸ばし始めていた。一時は絶滅したとみられていた貴重な植物である。トダスゲを見るために戸田ヶ原に行こうと思っていたので、ここで見ることができて驚いた。

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シロバナタンポポ

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アマドコロ

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ノウルシ。準絶滅危惧種環境省レッドリスト)。

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ヒキノカサ。絶滅危惧Ⅱ類(環境省レッドリスト)。

 

さて、田島ヶ原は桜草の埼玉県最後の自生地である(もう一カ所、桶川市内に自生地が僅かに残っているらしいが未確認)。江戸中期から明治にかけて、荒川下流域で、春にはさながら桜色の絨毯を敷いたように咲き誇っていたのであるが、昭和初期には絶滅寸前の状態になってしまった。その経緯や歴史、また園芸品種としても珍重された桜草という植物については、野新田桜草の会のサイト が大変に内容充実しており、しかも分かりやすい。私が付け焼き刃の知識であれこれ説明するよりも、こちらを参照された方が早い。

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画像は1827年(文政10)出版の、岡山鳥『江戸名所花暦』より、尾久原での桜草摘みの情景を描いたものである。江戸時代には現在の埼玉県内はもとより、尾久、浮間、岩淵のあたりも一面の桜草畑だった時期があったらしい。しかし既にこの江戸後期には、

王子村と千住の間、今は尾久の原になし。

と、岡山鳥は失われた風景であることを記している。

可憐な花を咲かせる桜草は、多くの文人墨客にも愛された。

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こちらは谷文晁画の桜草図である。描かれた時期は不詳であるが、落款の形式から見て化政年間以降と思われる。この図に文晁の友人であった屋代弘賢が賛を寄せている。

くさの名も 櫻といへは 日の本に かきる色香の 盛みすらし

江戸後期の国学者らしい句といえよう。

櫻草を詠んだ句と言えば、まず第一に小林一茶

我國は 草も櫻を 咲きにけり

が引かれるのだが、これも一茶にしてはあまり出来た句ではないように思える。

(余談だが、この一茶の句、ネット上では「我が国は 草も桜を 咲かせけり」と誤って引用されているのが目に付く。上に正しく引いた句は、一茶死語に編纂された『一茶発句集』の中に載っており、元々は「櫻草といふ題をとりて」として発句として詠まれたものである。200年後に改竄されたものが自分の作として勝手に出回っていると知ったら、きっと一茶は苦笑するだろう。)

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橋本雅邦の「櫻草寫生」。1907年(明治40)の作。雅邦が亡くなったのは1908年であるから、最晩年の作品ということになる。若き日に川越藩の御用絵師を務めた雅邦。荒川の河畔に咲く桜草は、おそらく最も親しみ深かった花の一つだったに違いない。

 

大正時代には、土地開発や乱獲のために、既に桜草の絶滅の危険性が論じられるようになっていた。折しも1919年、「史蹟名勝天然紀念物保存法」が公布され、日本にも自然保護の機運が高まりつつあった事が幸いした。理学博士で桜草の保護に尽力した三好学が強く働きかけたこともあり、田島ヶ原は1920年に天然紀年物に指定された。もし指定されていなかったならば、おそらく県内において自然種は絶滅していたのではないだろうか。

 

しかし面白いのは激減の原因と同じように、この荒川下流域における桜草群落の大発生もまた、人為によるものであったことである。江戸中期に荒川河畔に生えていた蘆や荻が江戸での需要のために収穫の対象となったことが、その切欠であった。荒川の上流、秩父地方から流れてきた桜草が、蘆や荻が少なくなったために日の光が当たるようになった河原で大繁殖し始めたのだ。

つまり、桜草が大発生したのも激減したのも、人間の自然破壊の結果だと言えるのである。もしかしたらこういう例は、他にも多く存在するのかもしれない。だとしたら、私たちが日常気軽に表現している「自然」とはいったい何なのか、考えさせられる事例ではないか。自然を大切に、などと言っても、今の日本に人間の手の入らない「自然」など存在しないではないか。

 

さて、ここからはおまけ。桜草自生地を一巡りして、まだ正午過ぎだったので、さいたま市の園芸植物園に足を延ばすことにした。

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温室内にあったこれ! なんとバナナの花(多分つぼみ)。こんな風に咲いて、こんな風に生るんだね。初めて見た。

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マンゴーの花。ウルシ科なんだそうな。かぶれたりするのかな。

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これも温室内。カカオの実が見事に生っていた。直接間近で見るのは初めてかも知れない。

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シャクナゲが満開。

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シャクナゲハナニラ

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園芸種の桜草が展示されていた。これも可愛いんだけど、やっぱり私は野の花の方が好きだなあ。