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大井窪八幡神社、清白寺、雲峰寺(山梨県山梨市、甲州市)

寺院 神社

9月末日。天気が良いので山にでも行こうかと思案していたのだが、雁坂トンネルが11月いっぱいまで無料で通行できることを知り、丁度良い機会なので山梨までクルマで行くことにした。

朝出発して、秩父を西へ。9時頃、大滝温泉の道の駅で休憩。9時半頃、滝沢ダムで休憩。

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奥の山はおそらく霧藻ヶ峰(1523m)。

10時頃、道の駅みとみで休憩。

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甲武信ヶ岳(2475m)だと思うのだが、(その手前の木賊山らしい)もしかして雪が残ってる? 安スマホのカメラなのでハッキリと確認できないが。

途中、JAの直売所で買い物をして、大井窪八幡神社へ。

現存する最古の木造鳥居(重文)をクルマでくぐり、神社脇の駐車場にクルマを止めて、正面の神門へ。

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手前の石橋も附指定されている重文の神門(1511or1542)。簡素な切妻屋根の四脚門だが、檜皮の反った屋根が美しい。

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くぐると正面に重文の拝殿(1553)。現地の説明文によると、武田晴信が信州村上氏攻めの祈願のために造替が行われたそうな。通常の拝殿とは違い、左右対称ではなく、床が低い造りなので社務所として使われていたのではないか、とのこと。

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県指文の鐘楼(1501?)。重層寄棟造の屋根を檜皮で葺いている。神社に存するということも含め、大変に貴重だと思う。なんたって八幡大菩薩だからね。

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右側に摂社の若宮。手前に拝殿(1536)、奥に本殿(15世紀後半)。ともに国重文。拝殿は桁行4間、梁間3間で屋根は入母屋。これもあまり神社拝殿という感じはせず、和様建築の仏堂のような感じだ。

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奥に入って左側にあるのが末社の武内大神本殿(1500)。国重文。

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本殿(1516頃)。三間社流造の社殿を間に1間ずつ置いて合体させ、計11間の流造りになるという珍しい形。現地の説明書きによれば、流造りでは現存最大のものだという。武田晴信が寄進したという正面の金箔壁画は、風化を避けるためかガラスが貼られていた。やや興を削ぐが、歴史的文化財という性質上やむをえまい。

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右奥の若宮本殿。これも三間社の流造りかな。よく確認せず。当神社では最古の建築物である。

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末社の高良神社本殿(1500頃)。国重文。

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脇から。隅木入春日造。15世紀の春日造は東日本では相当珍しいのでは? 少なくとも俺は初めて見た。

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県指文の如法経塔(1532)。安山岩製で状態が実に良い。神仏習合の遺構としても貴重だ。

 

窪八幡を後にして、清白寺へ向かう。

しかしこの清白寺、農村のただ中にあって案内表示などもなく、非常に見付けづらかった。場所を見付けても今度は駐車場が見当たらないしで、要らぬ時間を食ってしまった。結局、参道手前の道路に路上駐車したが、境内の中に駐車可能なスペースがあるようだった(未確認)。クルマで訪れる方は注意されたし。

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国宝の清白寺仏殿(1415)である。方三間の裳階付きで典型的な禅宗様仏堂といえば、やはり東日本では鎌倉の円覚寺舎利殿、東村山の正福寺地蔵堂を想起させる造りだ。後者よりも屋根が小ぶりのように見えるが、裳階の反りの効果もあり、かえって建物全体のバランスはこちらの方がよいように感じる。

正福寺はわりと近所にあってよく参拝するのだが、こんな素晴らしい建物をタダで見せてもらえるというのに、ほとんど来る人が居ないようなのだ。日本文化の貴重な美点を自らの肌で感じられる機会が、こんな身近に転がっているというのに、何とももったいないことだと思う。

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奥に国重文の庫裏(1689~1693)がある。

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現地の説明板にもあったが、妻の意匠がおもしろい。誰の発案で、どうしてこんな形にしたのだろう。それを想像するだけでも楽しい。

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庫裏とはいっても、たぶん17世紀後半の大農家の造りもこんな感じだったのではなかろうか。

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清白寺は1333年、鎌倉幕府滅亡の年に足利尊氏が開基、夢窓疎石が開山となって創建されたそうである。当時の甲斐国は石和流武田氏嫡流の二氏が併存していたので、同じ源氏の尊氏からの働きかけがあったのかも知れない。

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市指文の本堂(1693~1713)。現地の案内板によれば、3行2列6室の間取りを持つ方丈形本堂だそうである。この型式は初めて見たので、実際に中を拝見したいものだ。

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寺の入り口で、もしかしたら金峰山かなと思って撮ったのだが、地図で照合したら全然違った。

左奥にてっぺんがちょっと見えるのが水ヶ森(1553m)、一ツ木山(1525m)、中央辺りに突き出ている大沢ノ頭(1673m)、その右に小楢山(1713m)。国師や金峰はまだこの奥なのだ…。いや、山深いね。

 

最後に雲峰寺へ。

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国重文の本堂(16世紀半ば)。天文年間の諸堂消失後、再建のため武田信虎が与えた印判状が現存する。

この寺には日本最古と言われる日の丸の旗や、いわゆる「孫子の旗」も保存されていて、宝物館で拝見することが出来る。

2009年に大菩薩嶺に登った時は、急いでいたのでこの寺の前を素通りしてしまい、心に残っていたのだが、訪れることが出来て良かった。

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こちらも国重文の庫裏。本堂と同時期の再建だという。この雄大な規模の庫裏が、往時の勢威を雄弁に物語っているのではないだろうか。

 

帰りは青梅街道で帰った。

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柳沢峠から見た富士山。撮影スポットらしく、多くの人が記念写真を撮っていた。

15時半、奥多摩湖で休憩。

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小河内ダムから御前山(1405m)

サス沢山でした(10月6日)追記。