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飯高寺、生尾神社

寺院 神社

台風17,18号が関東地方に記録的な豪雨をもたらしている中、余った18きっぷを使い千葉県匝瑳市を訪れた。千葉方面へ行く時はラッシュの東京を避け、武蔵野線で大回りすることが多い。

西国分寺駅08時37分発武蔵野線西船橋駅09時50分着

西船橋駅09時53分発総武線普通→船橋駅09時56分着

船橋駅09時58分発総武線快速→千葉駅10時12分着

千葉駅10時17分発総武本線→11時31分飯倉駅

八日市場の一つ手前、無人駅の飯倉で下車。一緒に降りた客は2人、乗った客はいなかったように思う。

飯倉駅から200メートルくらい離れたコンビニで昼食を買い、駅の待合室で食べる。待合室の中には台風を避けて来たのだと思われる、ホームレスの方がお休みになっており、落ち着いて食べられなかった。

飯倉駅から匝瑳市コミュニティバスで北方向へ。大抵コミュニティバスというのは客を乗せていないことが多いのだが、この日は悪天候ということもあったのだろう、先客が6人いた。

飯倉駅前11時56分発→12時23分、公崎南バス停着。

雨は一時的に上がったものの、空から暗く垂れ込めている状態だ。またいつ降り出すか分からない。東から湿って生暖かい風が吹いている。

公崎南バス停の周囲は純農村地帯で、南には水田が広がっている。近世~近代にかけて拓けたものだろう。そう古くはなさそうだ。風景を見ていると、以前歩いた成田の農村を思い出す。九十九里地方の匝瑳とはいえ、ここまで内陸に入ると成田の近さを実感する。

バス停から2キロほど北東に歩くと小高い丘がある。そのてっぺんの台地に飯高寺がある。

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国重文の総門(1782)は重厚な作りで、寺の門というより城のそれを想像させる。この地形と門を見て、もしかしたら中世には城として機能していたのではないかと感じられた。

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門から続く通路には、杉や椎の巨木が林立している。

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天を衝くように聳える巨杉。

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やはり俺の推測通り、明らかに人工の壕がある。

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杉並木の向こうに講堂の姿が現れる。

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国重文の飯高寺講堂(1651)である。実に雄大でとち葺の屋根が美しい。桁行は7間ほどあるだろうか? 17世紀の仏道講堂でこれだけの規模の物は非常に貴重であると思う。

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こちらは国重文の鼓楼(1720)。入母屋の屋根は茅葺きかな?

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国重文の鐘楼(1651)。反った屋根が美しい。

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講堂の吹き放ち部分。わりと簡素な作りなのは、実用を重視したからだろう。逆にそれが好感を抱かせる。戸も蔀などにもせず、全て引き違い戸である。

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欄間部分は空気がよく通るようになっている。夏の涼しさ重視なのだろう。

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この飯高寺、江戸時代には飯高檀林といい、日蓮宗の学問所、僧侶養成所であった。そのルーツは1560年頃に北条氏の配下武将であった平山某がこの地に封じられたことによる。たしか北条氏照の重臣に平山氏というのがいて、本貫は多摩地方だったと思うが、その一族が北条氏の勢力拡大と共に移封してきたのだろうか。

詳しいことは分からないが、その平山氏が城中に日蓮宗の寺を作ったことがきっかけらしい。近所の東金には日蓮宗に心酔していたことで有名な酒井氏のような豪族もいたし、何と言っても南隣の安房国は宗祖の故郷である。天文法華の乱で西国の宗勢は衰えていたし、下総には法華経寺のような大寺もあったため、この地に日蓮宗の僧侶たちが集まって来たのかも知れない。

たぬきおやじ家康も不受布施派のような面倒くさい連中が多い法華の連中は、房総半島に閉じ込めておくのが得策と思ったのかも知れない。江戸入府から間もない1591年に、早くも飯高檀林を宗門根本檀林として認可した。すなわち、これが現在の立正大学の元祖となる学問所の誕生である。

明治初年に檀林制が廃止となったにもかかわらず、これだけ往時の面影を残しているというのは奇跡と言うべきだと思う。ぜひこの歴史文化遺産を末永く大切にしていきたい物だ。

 

飯高寺から少し歩いた所に「黄門桜」という桜があるというので見に行くことにする。

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モノトーンの空にケイトウの赤が鮮やかだった。

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20分ほど歩いて見に行った黄門桜だが…。葉が全て無くなってしまっている。こういう桜の種類なのか。老樹なので散ってしまったか、あるいは病気か。虫の仕業か。しかし周囲の木々の葉は虫に食べられた形跡がない。

ちょっと心配な黄門桜だった。この時期にもう葉が無くなってしまっているのでは、来年花を咲かせるのは大変な苦労ではなかろうか。

ちなみにこの黄門桜という名称は、1699年に水戸義公が飯高檀林を訪れた際に、佐原より飯高までの間に桜や松を植えたという記録があるから名付けられたそうである。そういえば義公の母も法華信仰に篤かったようで、常陸太田にある日蓮宗菩提寺を訪ねたことがある。

さて、まだ帰りのバスに時間があるので、そこから飯高神社を目指す。ちょっとしたハイキングコースのような道を15分ほど歩く。

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市指定文化財の拝殿。現在飯高神社は修復作業中のようだった。拝殿も倒壊しないようにという配慮だろうか、柱で支えられている状態である。

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一間社流造りの本殿。彫刻も傷んでしまっている。

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市指定文化財の瑞垣の見事な彫刻。二十四孝の彫刻だが、現地の解説板にもあるように成田山の影響を感じさせる。江戸後~末くらいだろうか。明治より新しいようには思えない。

 

コミュニティバスで生尾バス停まで。歩いて5分くらいの小高い丘の上に、式内社・老尾神社がある。八日市場駅の北西約1キロ。県立匝瑳高校の県道を挟んで向かい側に位置する。

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入口は北西向きで、社殿は南西を向いている。

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こぢんまりとした拝殿。1975年発行の菱沼勇・梅田義彦『房総の古社』には"古びた茅葺き"とあるから、近年建て直された時にトタンにしたのだろう。

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本殿も一間社で素朴な造り。房総地方の古社は派手な物が少ない感じがする。

しかしこの社は匝瑳郡唯一の式内社で、往時は郡内の住民全てが氏子であり、椿海の埋め立ての時は当社の神職匝瑳氏が指揮を執ったというから、その勢力は大変なものだっただろう。

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社殿は簡素だが、周囲には杉の巨木を初めとする霊樹が聳え、古社の趣を感じられる良いお社だった。

八日市場駅前で落花煎餅を購入し、早めの帰宅。結局外を歩いている間は雨に降られることはなかった。